卒業生柿谷曜一朗さん~引退試合から~
本校56期生であり、元Jリーガー、元サッカー日本代表の柿谷曜一朗さんが、昨シーズン末で現役を引退されました。その引退試合が、12月14日、長居のヨドコウ桜スタジアムで行われ、私も観戦させていただきました。
私は、柿谷くんが中学2年生から中学3年生、そして高校1年生までの3年間、担任を務めました。教室で過ごした日々を思い出しながらスタジアムに足を運び、感慨深い時間となりました。
一般的には、最後に所属したクラブで引退試合やセレモニーが行われることが多いと思います。しかし彼は、ジュニアからジュニアユース、ユース、トップチームまで、自身のサッカー人生を最も形づくったセレッソ大阪のホームスタジアムでの引退試合を選び、さらに対戦相手にはガンバ大阪の選手を中心としたメンバーを迎える「大阪ダービー」という舞台を企画しました。
試合は単なるフレンドリーマッチにとどまらず、局面ごとに激しい攻防が繰り広げられ、勝負へのこだわりを強く感じる内容でした。柿谷くんの思いが随所に詰まった、実に見応えのある試合だったと感じます。
試合後、家族からのメッセージを聞く柿谷くんの姿がとても印象的でした。中学・高校時代とは違い、一人の大人として、そして親としての表情を浮かべる姿に、時間の流れと人生の深みを感じました。イベント終了後も、サポーターの皆さんは席を離れず、「ヨウイチロウ!!」というコールがスタジアムに鳴り響き続いていました。
柿谷くんは、本校入学直後の中学1年生の頃から年代別日本代表に選出されており、在学中も代表招集で教室を空けることが少なくありませんでした。それでも遠征から戻ると、すぐに多くの友人に囲まれる、そんな存在でした。一方で、決していわゆる「優等生」ではなく、教室でも学校内でも、なかなかに“パンチの効いた”生徒でもありました。笑
高校1年生の3学期、誕生日が早生まれの1月3日である彼は、16歳の誕生日と同時にセレッソ大阪とプロ契約を結び、本校を離れることになります。入団発表の翌日、一般紙・スポーツ紙を問わず彼のプロ入りが報じられていたことを、今でもよく覚えています。
その翌日、彼は「先生……これ」と言って、入団発表の際に着用していたユニフォームを私に手渡してくれました。「じゃあ、サインでも」と言うと、彼が書いたのは『柿谷曜一朗』という楷書のサイン。実に彼らしいものでした。おそらく、その後何千、何万とサインを書いてきた中で、あの楷書のサインは唯一のものかもしれません。
もっとも、彼のサッカー人生は決して順風満帆だったわけではありません。若くして(当時最年少で)プロとなり、技術や身体能力は日本代表でもトップクラスであった一方、まだ高校1年生。生活面での未熟さもあったのだと思います。練習への遅刻を繰り返し、その結果、徳島ヴォルティスへの移籍を経験することになりました。その当時のことを、彼は後にさまざまな場面で、また成人の会で再会した際にも「アホやったな……」と率直に語っていました。しかし、新天地で地域の方々、スタッフ、チームメイトに恵まれ、彼は大きく成長を遂げます。そして2014年W杯では、日本代表の11番を背負い、ピッチに立ちました。その背景に、並々ならぬ努力があったことは想像に難くありません。
今回の引退試合は、そうした彼のサッカー人生すべてが積み重なって生み出された、実に素晴らしい舞台だったと思います。
『曜一朗、本当にお疲れさまでした。』
これからは、また違ったステージでの活躍を、心から期待しています。





